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HN:
-
性別:
非公開
自己紹介:
2005年3月 大学院修士課程医療薬学専攻(臨床薬学)修了
2005年8月 渡米、カンザス大学Pre-Pharmacy課程編入
2006年8月 カンザス大学薬学部Doctor of Pharmacy課程入学
2010年5月 卒業、Doctor of Pharmacy Degree 取得
2010年6月 ペンシルベニア州フィラデルフィアの大学病院にてPharmacy Practice Residentとして勤務
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渡米して1年4ヵ月半。とはいっても、既に2回一時帰国しているので実質1年と3ヵ月半。休みに入ってからいろいろと振り返ることがある。

私は帰国子女でもないし、家族や親戚の中で海外に住んでいる人もいないので、特に留学を昔から考えていたわけではない。でも、家族と海外旅行に行くことが比較的多かったので、旅行好きではあったかな。

英語を初めて学んだのは小学5年。学校の英語の授業についていけるように英語塾に通い始めたのであって、留学のためではなかった。3匹の子ぶたの物語が一番最初のテキストで、英文の上に先生が振ってくれたカタカナを読んでいるだけで、全く身に付かなかったのを覚えている。

中学生になると、近所ではスパルタと有名なイギリス帰りの先生の英語塾に通った。毎週100単語近い単語のテストがあった。途中、進学塾一本に絞った関係でブランクもあったけれど、高校に入ってから再びこの英語塾に通う。今思えば、このときの語彙力は今とあまり変わらないような気もする。完璧なイギリス英語に浸かっていながらも、英会話には興味が無く、あくまで進学の為の英語を習っていた。

旅行好きだったので、この頃はホームステイに憧れていた。高校1年の夏に、オレゴンでの3週間のサマースクールに参加するも、日本の中高生50人に現地の中高生が5人しかおらず、ほとんど英語を話さずに帰国した。ホームステイは一泊で、残りは大学の寮に日本人ばかりで滞在した。でも、自分の英語が初めて外国人に通じたのには感激した。

通っていた英語塾のおかげで、化学と数学が苦手ながらも薬学部に入った。でも漠然と医療系を選んだだけで、薬剤師にはあまり興味もなく、高校で生物を選択したこともあり、低学年では苦手な化学と微分積分に苦しんだ挙句、薬学にも依然興味がなかった。

大学3年の秋、「臨床薬学総論」の講義が転機となった。尊敬する教授の講義を聴いて以来、Pharm.D.留学が漠然とではあるが夢になった。卒論配属先を決める時にこの講座は倍率が高かったので、前日に湯島天神にお参りに行ったのを覚えている。幸い、じゃんけんで勝ち、この講座で卒論、その後の修士ともにお世話になる。このときに勝っていなかったら、違う人生になっていたかもしれない。

この研究室では、年間を通じてアメリカから講師を招いたり、毎年修士課程の学生がアメリカで4~10週間の病院研修を行っている。アメリカの薬剤師が雲の上の存在のように感じてはいたけれど、自分もこんな風に自信と誇りをもった臨床薬剤師になりたいと思った。

3年次最後の春休み中にカナダのバンクーバーへ2週間、語学研修に行った。ホームステイをしながら語学学校に通った。外国に住むのがどんなことなのかを体験するのが目的だった。留学はまだ夢だったけれど、海外に住むのはあまり苦ではないなと判ったのは収穫だった。

Pharm.D.留学が夢から目標に変わったのは、修士2年次の米国研修。他のクラスメイトは2人1組だったけれど、私は1人でシアトルへ行くことになり、緊張したけれど、それはそれでよい経験と自信になった。英語はまだまだ留学するにはほど遠いレベルではあったけれど、不可能ではないかな、と感じた。アメリカの薬剤師が働いている姿を実際に見ることができたのも、非常に貴重な体験であった。

2004年9月、帰国後に色々と考え、就職をせずに留学準備を始めた。

つづく。。。

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