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2005年8月 渡米、カンザス大学Pre-Pharmacy課程編入
2006年8月 カンザス大学薬学部Doctor of Pharmacy課程入学
2010年5月 卒業、Doctor of Pharmacy Degree 取得
2010年6月 ペンシルベニア州フィラデルフィアの大学病院にてPharmacy Practice Residentとして勤務
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"Limbo"とは不安定、中間の状態のことを指す。宗教用語では、天国と地獄との間で洗礼を受けていない霊が集まる所を意味するのだとか。半年前まで私はまさにこのLimboの状態にあったわけで・・・
休みに入ってから、追われるものがなくなると、この言葉を思い出す。修士課程を修了してから、同級生が皆就職し、私は大学院生のときから土日にアルバイトをしていた薬局で週に数回働く以外、何もすることがないという時期があった。どこにも属さない状態って本当に辛い。家族には「就職したくない症候群」ではないかと言われた。同級生が新人として社会の中でもまれながらも、一人前の薬剤師としての第一歩を踏み出しているのを尻目に、私はKUからの連絡を待ったり、TOEFLを受けたりしていた。
結局6月になってから、KUの留学生課を通じて、Pre-Pharmacyで良ければ留学手続きに入れるけれど、と連絡が。どうやらPre‐Pharmacy Requisitesといって、Pharm.D.課程入学前に取得しなければならない単位が足りないので、門前払いに近かったらしい。もともとは、国内または米国内でそれらを取得してから、一年後の2006年に受験するつもりだったので、最初からわかっていたことなのだけど。ただ何が必要なのかを知りたかっただけのために出願したのだから。。。それなのに、何が足りていないのかはまだ判らないので、KU到着後に確認するようにと言われる。このときは既に6月の半ばだったので、ビザの手続きがギリギリ間に合うかどうか、といった時期だった。あわててアメリカ大使館での面接の予約などをしたと記憶している。
KUにはAcademic English Center(通称AEC)という付属の語学学校があって、ほかの大学に比べ、英語の基準は厳しい。ただTOEFLの受験は必須ではないので、留学してから英語を一から学ぼうとする学生もいる。KUに到着後すぐに、AECの試験を受ける。この試験は選択問題ではなく、すべて筆記形式なので慣れていない人には厳しい。去年の段階ではTOEFLの3つの部門すべてで23点以上取得していれば、この試験は免除になる(注:これは薬学部ではなく、大学の基準です。薬学部でもTOEFLは求めていませんが、面接やエッセーが課せられるのでやはりCBTで250点前後は必要かと思います)。私はこのとき、WritingとReadingは23点以上だったけれど、Listeningの点数がこの基準を満たしていなかったために、この試験を受けるはめに。しかも試験の形式に慣れていなかったために訳のわからないまま終了。語学学校で1学期間授業を取らされる。幸い、次の春学期には大学の授業を取れるようになったけれど、秋学期にPre-Pharmacyの単位を全く取れなかったのは予定外だったので、正直焦った。しかもAECに入ったからといって英語がすぐに上手くなるわけではないのに授業料は大学と同じ。
冬に再度薬学部に出願。エッセーの質問内容が前年と全く同じだったのには苦笑。少し手直ししたのみで提出。結局、春学期と夏学期で何とかEnglishやPublic Speakingなどの必須科目を取り終えたけれど(近くのCommunity Collegeでも単位を同時に取得した)、このときはまだ大学の授業を全く取っていない段階だったので、不安でいっぱいだったのを覚えている。
春学期に取った生理学と解剖学の授業では、Pre-Medや生物学専攻の学生に混じって、Pre-Pharmacyの学生もたくさんいたので、ライバルに囲まれながらの授業だった。米国の大学での初めての授業だったけれど、聞いていたほど英語の壁は感じなかったのは、日本で学んだ知識のおかげかもしれない。
3月になって薬学部の面接を受けたというクラスメイトがちらほら。でも私には何も連絡がない。友人のアドバイスに従って、何度かオフィスに直接出向いて担当者に聞いたり、メールで問い合わせたりしたけれど、何も進展はない。この頃、今年駄目だったら日本に帰るつもりでいたので、毎日気が気ではなかった。そのうち、3月の後半には友人が合格通知を受け取り、ますます焦る。
5月の初めになって突然、学部長からEメールが届く。面接を行うので希望の日時を予約するように、とのこと。早速オフィスに直接出向いて数日後の夕方5時半を予約。既に面接を受けたという友人に質問内容を聞いたり、数週間前に偶然お会いした日本人学生のルームメイトがインドネシアから留学している薬学生だとわかり、その人にも頼んで会ってもらい、アドバイスをもらった。質問内容を予想してその答えを作り、アメリカ人のルームメイトの前で練習した。
当日は25分ほどの面接で、面接官は4人だったと記憶している。ほとんどの質問は3月に受けた友人のものと同じだったし、予想外の質問や失敗もなく終わる。後から聞いた話では、受験担当の委員の間で一番心配していたのがやはり言葉の問題だったようだ。面接では、私の英語は完璧ではないけれど、理解できるものだったし、印象はとても良かったと聞いた。友達やルームメイトがいなかったらここまで出来なかったので、とても感謝している。今はクラスメイトであるこの友人には感謝してもしきれないほど。
5月の下旬、期末試験が終わった次の日、郵便箱の中に薬学部からの封筒を見つける。待ちに待った合格通知。その横を偶然通り過ぎた韓国人の友達にすぐ報告し、そのまま出かけたのだが、帰ってみるとルームメイトがすでにその吉報を知っていて驚いた。よい話はすぐに人に伝わるものなのよ、と彼女。このとき、やっとLimboから抜け出したのを実感した。もう半年も前の出来事だけれど、このときのことはこの先もずっと忘れないと思う。
考えてみると、決心してからほぼ最短でPharm.D.課程に入学できたことになる。努力はゼロではないけれど、やはり運がよかったのだと思う。日本にいたときからKUの教授を知っていたし、家族からの金銭的なサポートもある。今はカンザスに来て良かったと思っているけれど、Pharm.D.留学が全ての人にとってベストの方法とは思わない。かかる時間とお金はほとんどの人の予想を超えているんじゃないかと思う。私自身ももまだ自分の選択が正しかったかどうか判らないし、その答えは5年後、10年後に判るものだと思うから。